先週に引き続きゲストは、僧侶で宗教学者の釈徹宗(しゃくてっしゅう)さんです。
今週は、NO-MAで開催中の「快走老人録Ⅱ」から老いるということと表現ということについて、お話が展開しました。
釈さんの中の「老いる」というイメージとして、死へ向けて枯れていくことがあり、「表現の過剰さ」ということはイメージとは違ったが、この展覧会を知って「アートだったか!」という気づきがあったとのこと。
そこから話は、「ホモサピエンスとネアンデルタール人が一時期共在しており、その時期に発生したのがアートやダンスである」と大きく転換。6万年前に何らかの心の爆発から生まれた、決して「便利なもの」ではなく「過剰な部分をもっている」アートとどう付き合うかということについて話されました。本能から離れたところの喜び(アートや宗教がその一例)とどう付き合うかということです。
老いたからこその「生」との付き合い方があると釈さんはおっしゃいます。膝が痛くなることで、若い頃には考えなかった自分の体の状態に気づき、そこに付き合っていく。老いの状況をクールに観察しながら、自分の心と体と付き合っていく。その時にアートは大きな扉になるというのです。
釈さんのお話を聞いていて、老いるということはそれだけ自分との付き合いが長くなるので、自分のことがよくわかるようになることでもあると気づかされました。「わかること」の中には、何だか放出したい気持ちや思いを持つ自分ということも含まれ、放出方法としてのアートは確かに突破口になるなあと、自分の老いゆく先に思いを馳せる機会ともなったゲストトークでした。
放送をお聴き逃しの方、カバーされていないエリアにお住いの方も是非Podcastからお聴きください。
(音声は、放送後の翌週月曜日に更新されます。)
次週のゲストは打楽器奏者であり、糸賀一雄記念賞音楽祭の実行委員長でもある中谷満さんです。ご自身の音楽との出会いから、糸賀一雄記念賞音楽祭へのつながりまで幅広くお話しいただきます。10月31日(金)21:30~21:55 KBS京都ラジオです。