今週も滋賀県立大学人間文化学部教授の細馬宏通さんをゲストにお招きします。介護現場での、利用者の行動や身体動作が、介護スタッフ等周囲の人との関わり合いから引き出されていることが紐解かれている『介護するからだ』(医学書院)ですが、障害のある人たちと共同で行う即興演奏に参加された場面や、アール・ブリュットの創作現場なども同じような並びで取り上げられているのも特徴です。
そもそも『介護するからだ』というタイトルはどのようにして付けられたのでしょう?当初は「介護のからだ」という短いタイトルが考えられていたそうです。「それでも良かったのだけど…」と前置きしながら細馬さんが話してくれたのは、「の」を「する」に置き換えると「そうなるのは、介護するからだ。」と順接の接続詞が入った意味にもなって良いかもということで、このタイトルになったということでした。言われてみればなるほどと思いますが、そちらの意味が浮かんでいた方はいらっしゃいますでしょうか?
本の中では、カンファレンスのシーンも何度か出てきます。記録に基づく振り返りや検討の他、介護者によるその時起きた場面やその時の利用者のリアクションなどが「ものまね」のような形で再現され、その中で介護者同士が状況をつぶさに共有していったり、何らかの方向性を見出していったりする様子も書かれています。このようなカンファレンスのあり方は、なかなか医療では起こらず、介護のカンファレンスならではであると言います。そこには空間の特有性も関係しているようです。
取り上げられている、介護の現場もアール・ブリュットが生まれる創作現場も、一旦、利用者、介護者(支援者)という区分けはされながらも、相互的な関係にあるということが共通して見えてきます。アール・ブリュットが生まれる現場では、作っている利用者、作るところを見届けている支援者、それを世に出すというところで協働して行って、結果それが作品となるというようなことがあります。細馬さんがアール・ブリュット作品の背景にそういうことあると気づいたのは、作品に出会う以前に、すずかけ作業所(兵庫県西宮市)に行ったことが大きいとのことです。すずかけ作業所を訪れた時に、作品も面白いが、描いている現場のほうがもっと面白く、他の作品を見る時もそのことに関心を向けながら見るそうなのですが、その方が全体として面白いのだと言います。
また、福祉現場で生まれた作品を世に出すときは、複数の社会的手続きがあり、簡単に出せないことも少なくありません。細馬さんは、社会的意味というのは何も世の目に触れるということだけでなく、作っている利用者とその創作(行為)を見守る支援者とのやり取りだけでも社会性を帯びるとも言えるし、まずはそこから始まるのだと言います。
このことは多くの支援者が知っておいて良い示唆ではないか、そう思いました。
放送をお聴き逃しの方、カバーされていないエリアにお住いの方も是非Podcastからお聴きください。(音声は、放送後の翌週火曜日に更新されます)
次週も、滋賀県立大学教授の細馬宏通さんをお迎えし、『介護するからだ』にまつわるお話しをお聞きします。8月5日(金)21:30~21:55 KBS京都ラジオです。