大迫力に“動く”映像、作品に内在する“動き”――きっと心も“動く”はず
2018年2月3日(土)から開催する「アール・ブリュット 動く壁画」は、NO-MAと、一般から公募したキュレーターが共同によって企画の運営がされています。アール・ブリュットをはじめとする障害者の文化芸術活動に関する世の中の関心が高まる中で、この分野の更なる振興を担う新たな人材の活躍の場を作ることが、一般からキュレーターを公募することの目的です。そして、この度は、キャメラマンとして、映画やドキュメンタリーの撮影など、映像分野でご活躍をされてきた辻智彦さんを共同キュレーターとしてお迎えすることになりました。
辻さんとNO-MAがタッグを組み、企画されたのが「アール・ブリュット 動く壁画」という展覧会です。この展覧会では、4名の出展者の作品を展示します。
非常に繊細な線を描く岡崎莉望さん。
岡崎莉望
「誰でもない誰か」2015年
大胆な色彩と、唯一無二の模様で、世界を描きかえる木村全彦さん。
木村全彦
「駈馬神事」2013年
万年筆と独特の筆致で表現する西田裕一さん。
西田裕一「炎舞」2008年頃
幾度とない線の引き重ねから形を浮き上がらせる甫さん。
甫
「踊る人間」制作年不詳
四者四様の表現を生み出していますが、彼らの作品に共通する大事な要素があるとすれば、それは、“動き”ではないでしょうか。
岡崎さんはボールペンを走らせ、木村さんは色鉛筆をこすりつけ、西田さんは万年筆を震わせ、甫さんは水性ペンを往復させる。4人が絵を描くときの“動き”が、非常にダイレクトに痕跡として紙面上に現れ、作品の印象を決定づける大きな要素になっています。そして、それは彼らの内観世界にある心の“動き”とも地続きのものなのかもしれません。
タイトルにも現れているとおり、本展では、“動き”が、ポイントになっています。そして、その一つが上記したような、作品に内在する筆致と心の“動き”です。
そして、本展においてもう一つ大事な“動き”があります。それは、動く画――つまり、映像です。作者4名の作品実物の展示と併せて、本展では、作品自体を、4Kカメラとプロジェクターで高精細に撮影・投影した映像も展示します。大きなスクリーンに大迫力に映し出される映像は、本展の主たる展示方法であり、大きなコンセプトの一つになっています。
ですが、どうして、作品が実際にそこにあるのに、新たに映像にするのでしょうか。ここにこの展覧会を楽しんでいただく大きな仕掛けがあると、担当者として思っています。本展に置いて、映像を大々的に用いることは単なる展示手段ではなく、メッセージでもあります。
辻さんは、この展覧会のリード文で映像技術の誕生を振り返り、このように書いています。
この最新技術は、ただリアルに絵が動き出す驚きをもたらしただけでなく、肉眼では捉えられない世界の様相を可視化することに成功し、人間の目を超えて、正確無比に記録し、自由自在に空間と時間を摑まえるキャメラの存在を知らしめました。
人間の目では見逃してしまうような細部を捉え、自由自在に空間・時間を摑まえる――確かに肉眼では再現できない視覚世界を、キャメラは表現することが出来ます。本展は、そんなキャメラの眼によって、作品を再び見つめなおす試みでもあります。
辻さんは、またこうも書いています。
2万年前。旧石器時代の人々が描いた洞窟壁画は動いていました。真っ暗な洞窟の中、描かれた動物たちの絵は、獣脂の炎(描かれた動物たちを屠って得た炎=動物たちの魂)のゆらめきを得て、蘇り、再び生き生きと動き出したにちがいありません。少なくとも洞窟の壁を見上げる人々は、そこにもう一つの現実=動く画を幻視したことでしょう。そう、人類が最初に生み出した芸術とは、絵ではなく「映画」だったのです。
辻さんは、原始の人間にも通底する表現として、映画・映像を捉えています。そして、それは今回展示する実際の作品に内在する“動き”とも、「表現」である限りにおいて、リンクしていると感じ取ることができると思います。
大迫力な映像の“動き”、そしてその映像を通してみることで発見される筆致や作者の心の“動き”を目の当たりにして、きっと皆様の心も、“動く”はず、そう思っています。
2月3日よりオープンする「アール・ブリュット 動く壁画」。オープニングトークには、辻さんと現代美術家の束芋さんによる対談も実施いたします。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。
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明日は、障害者芸術文化活動普及支援事業についてご紹介いたします。
(担当:山田)