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ラジオ番組「Glow生きることが光になる」11月第1週「これ、すなわち生きものなり展関連講演会『民族社会のなかの妖怪たち』」小松和彦さん 後編

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先週に引き続き、「これすなわち生きものなり」展関連イベント、小松和彦氏(文化人類学者、民俗学者)の講演会の様子をお届けします。


小松和彦氏

前回は、妖怪とはなんであるか、宗教との結びつきや、芸術との結びつきという側面からのお話しでした。後半は、妖怪の歴史、文化は都市と農村部では少し違うということで、その両者を眺め、日本の妖怪を見ていこうというお話しです。

日本において妖怪が出てきたのは、12~3世紀頃の絵巻物が初めだそうです。有名なものに蜘蛛の化け物が描かれている京の絵巻物があり、猫のような狸のような顔をしていて、身体は蜘蛛という「土蜘蛛」が描かれているものです。これはヨーロッパでも評価されているそうで、非常に早い時期から妖怪表現が優れているという側面を日本は持っているそうです。
京の都では災害や病気を引き起こす自然的なものを表現してきたのですが、だんだんとそれが道具に変わっていきました。徐々に人間が道具に囲まれてくるようになって、道具も妖怪になる時代になったのだそうです。道具の妖怪=「つくも神」は、この10年前までは研究者でも知らなかったような言葉で、最近急速に人気を集め言葉も広がったそうです。「つくも神」は正確には「九十九」で、100歳に1歳足りない「つくも神」と言われます。「つくも神」の「神」は「髪の毛」のことでした。老人のことだそうです。100歳に足りない老人のことを言っていたのが、いつの間にか神様に変わっていったということだそうです。「つくも神」は人間が道具を作れば作るほど増えていく妖怪ということになります。
その頃、「鬼」は定型化されており、単純すぎて、画一化してつまらなくなっていっていたそうなのですが、そこに道具の妖怪が出てきたことで、色々な妖怪を作ることが出来るようになったのは日本人の画期的な発明であったと先生はおっしゃいます。他の国々ではそういったものは見出されていないそうです。日本人の妖怪感の大きな特徴的なターニングポイントは道具を妖怪に出来たことにあると先生は考えておられるとのこと。
そういった物が絵になると、皆が同じイメージで解読できるようになります。これは、私たちが今、都会で楽しんでいる妖怪の有り様と非常によく似ているとのこと。このくらいの時代から、名前をパロディーにしたり、あるいは洒落た誰かを当て擦ったりした物とする伝統、それを見て楽しむ伝統が出来ていったのだろうということです。
明治になると時計も出てくるなど近代的な道具も出てきたので、おそらく現代の化け物はもの凄い種類、数だろうとのこと。「妖怪ウォッチ」でもどんどん妖怪の数が増えていっているし、新しい作家たちも新しい妖怪を作ってるので、その量は膨大になっているとのことです。


都会の妖怪はどんどん絵になり、どんどん数を増やし、そして人々が楽しむようになり、子どもたちが暗記するくらいに名前が出来てきたという状況は前段の様子からわかります。
一方、農山村の大人たち或いは子どもたちはそういった文化を享受してきたのだろうかというと、残念なことにしなかったし、出来なかったということです。
つい最近、或いは今でも農山村の妖怪は自然に囲まれており、一歩外にでれば懐中電灯がなければ歩けないような闇が広がり、自然はまだ恐怖の対象です。そういうところはどんどん過疎化で人がいなくなっている訳ですが、このことは、人間がいなくなる=語る人間がいなくなる=妖怪がいなくなるということになるそうです。
さらに100年、200年昔には記録されていない、もっと怖い妖怪が語られては、消えていったのだろうということです。農山村は自然を恐怖の対象としており、自然の妖怪が多く、人間や道具の妖怪はほんの少しという特徴があるそうです。そして「つくも神」や幽霊もないわけではないけれど、農山村の妖怪の中で言えばマイナーなグループと言えるそうです。
農山村の妖怪には絵がなく、録音もしていないので、昔話を記録した物の中から探し出さなければ話すことができない。一方、都会の妖怪は視覚が発達しましたので、皆姿形が分かっているという違いがあります。農山村の妖怪は言葉なので、聞いた人が自分の経験の中から想像していく妖怪なのだそうです。
農山村は口頭伝承で、絵はなく、言葉で伝えられてきたものだそうで、自然の怖さがベースになっているので、農山村の妖怪は非常にネガティブなものだそうです。都市部の方は、最初はそうだったのが、道具が増え、絵が増えて楽しむものになっていきました。そして現代を見ると、口頭伝承的な昔話も都市部の方に取り入れられて、絵になっていくという状況になっているとのことです。
「日本昔ばなし」というアニメは、動画にするという形で農山村部のものを都市部の方に取り込んでいくという事でもあったそうです。しかし、その逆、都会の話を農山村の方に入れて、それが膨らんでいくというのは、あったとしても過疎化の中でどんどん萎んでいっている時代ではないかと思うとのこと。
いま、日本の妖怪が非常に人気を博しているのは、農山村の財産と都市部の財産をドッキングさせながら作り出していると、両方を念頭に置きながら新しい作品を作り出して行けると思っているからではないかと先生はおっしゃいます。また、アニメを作るにしても、実写を作るにしても、ゲームを作るにしても、きっと日本の妖怪文化が豊かなのは、農山村の部分と都市の部分を併せ持ったところにあると考えておられるそうです。
妖怪の継承をどのように考えるかというと、「感性」だとのこと。妖怪を生み出す想像力というのは、一つは文化の力であり、そして同時に想像力をどのように形にするかではないかという印象を小松先生は持っているとのことでした。
2週にわたり、日本の文化の豊かさ、とりわけ妖怪文化の特有さについて、背景をご紹介いただきました。会場には、先生のファンも多く、終了後は自然とサイン会が始まっていました。

放送をお聴き逃しの方、カバーされていないエリアにお住いの方も是非Podcastからお聴きください。(音声は、放送後の翌週月曜日に更新されます。※祝日の場合は火曜日)

来週は、日本のアール・ブリュットとして国内外から評価されている、魲万里絵さんをゲストにお招きして、作品のことや普段のくらし等についてお話しを伺います。11月13日(金)21:30~21:55 
KBS京都ラジオです。

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