Aug 07 |
エッセイシリーズ「忘れようとしても思い出せない」その4 作者紹介「西村一幸」 |
現在、NO-MAで開催中の展覧会「忘れようとしても思い出せない」に合わせて、担当学芸員のエッセイを連載します。既に展覧会にご来場の方も、まだの方も、本展の見どころや裏話をご紹介する記事をお楽しみに。
その4 作者紹介「西村一幸」
“主観と客観の差異についての問いかけ”
NO-MAの2階の畳の間では、鮮やかな色彩で描かれた、うねりを帯びた有機的なフォルムの絵が出迎えます。マンゴーのようでもあり、イソギンチャクのようにも見える不思議な形のその絵は、西村一幸さんの描いた≪ピラカンサ≫です。
ピラカンサとは、秋に果実を実らせる植物で、よく街路樹などに植えられています。とはいっても、読んでいる方々も、なかなか「ああ、あの植物のことね」とはならないのではないでしょうか(ぜひ、ピラカンサと検索をしてみてください)。というのも、西村さんの描くピラカンサは現実のピラカンサの姿とは大きく異なっているからです。とある日に、仕事先の工場をぐるりと囲むフェンス沿いに植えられていたその植物に、西村さんは目を留めます。そして、ふと思い出して、その植物を描いてみようと考えたことが創作のきっかけだったといいます。54歳の頃、高所から転落で脳を受傷したことから、記憶を喪失した西村さん。やがて部分的に記憶を取り戻していったそうですが、記憶の仕組みにも変化があったそうで、過去と現在を混在して認識していることもあるといいます。それが創作に影響を与えているのかどうかはわかりませんが、彼が記憶を頼りに、ピラカンサを描くとき、その形は未知の植物のようなユニークな外観で表されます。
主観的に認知する世界の質を表す「クオリア」という言葉があります。「クオリア」は主観的な認知でしか確かめられないため、それが他の人と共通しているかどうかはわかりません。例えば、「赤」という色で、思い浮かぶ色は、本当にみんな共通しているのでしょうか。西村さんの描くピラカンサはどうでしょうか。本当にみんな同じように見えているのでしょうか。
西村さんの作品はもちろんその形象のユニークさも面白いですが、こうした主観性と客観性についても重要な問いかけを投げかけているのではないかと思います。